ブレグジット10年、英国はどれほど崩れたのか
「6%の損失」という数字がどこから来たのか、その中にコロナやエネルギー危機、7人の首相がどれほど混ざっているのかを切り分けてみます
ビジネス10年で7人目の首相
2016年6月23日に国民投票が行われ、今年6月でちょうど10年が経ちました。その10周年の週にキア・スターマー首相が辞任を発表し、7月20日にアンディ・バーナムが国民投票以降7人目の首相として就任しました。この場面だけを見れば、「英国は崩れた」という言葉が出てくるのも無理はありません。
ただ、その言葉を使うには、問いを二つに分ける必要があります。一つはどれほど悪化したのか、もう一つはそれがブレグジットのせいなのかということです。一つ目の問いには、今や10年分のデータが蓄積されているので、かなり具体的に答えられます。二つ目の問いは、データがどれだけ積み上がってもすっきりと答えが出ない種類の問いです。なぜそうなのかまで、一緒に見ていこうと思います。
A benchmark map of the US economy | MercorThe US Benchmark Map places AI benchmarks across the American economy, measuring which parts of the labor force are covered by unsaturated, public, agentic benchmarks.どれほど:四つの数字群
成長。 最も多く引用される数字は、2025年11月のNBERワーキングペーパーから出ています。スタンフォード大学のニック・ブルームとイングランド銀行の研究陣が書いたこの論文は、2025年時点で英国の一人当たりGDPがブレグジットがなかった場合より6〜8%低いと推定しています。英国のレイチェル・リーブス財務相は2026年3月の演説でこの8%を引用し、それ以降「8%」が既定事実のように出回っています。ゴールドマン・サックスは2026年6月に自社モデルで約6%という数字を出し、2年前の推定5%より大きくなったと明らかにしました。この手法を最初に作ったCER(Centre for European Reform)のジョン・スプリングフォードは、2025年時点で約5%とみています。英国予算責任庁(OBR)1は2020年からずっと「長期的な生産性4%低下」を公式見通しに盛り込んでいます。
範囲をまとめると4〜8%です。重要なのは、この数字が英国が実際に縮小した大きさではなく、ブレグジットがなかった場合の英国との差だという点です。実際の英国経済は2016年以降約12%成長しており、これは日本・ドイツ・イタリア・フランスより高い水準です。ただし人口が急速に増えたため、一人当たりで見ると10年間で4%ほどの成長にとどまりました。「崩れた」というより「足踏みに近い」というのが、一人当たりの数字に合う表現です。
貿易。 ここは推定というより実測に近い領域です。2021年に発効した貿易協力協定(TCA)2が関税の大部分を撤廃した一方で、単一市場を離脱したことで通関・認証・規制の違いといった非関税障壁3が新たに生まれました。CERが2026年6月に発表した重力モデル分析では、EU向けの商品輸出は残留していた場合より16%、商品輸入は14%低くなっています。サービスは輸出7%、輸入19%低い水準です。ONSの実績で見ても、2025年のEU向け商品輸出は2018年より340億ポンド(15%)減少しました。それでもEUは依然として英国の貿易の40%以上を占め、英国は米国に次ぐ世界第2位のサービス輸出国です。サービスが持ちこたえたことが、英国が完全には落ち込まなかった理由の一つです。
投資。 最もはっきりとした傷がここにあります。ONS基準で2026年第1四半期の企業投資は2016年第1四半期より11%増加するにとどまった一方、同じ期間に米国は52%増加しました。経済全体の投資率はGDPの18.9%でG7最下位です。ブルームの論文では、企業投資が反実仮想の経路より12〜18%低いとみています。国民投票直後に企業が投資を止めたことが、最も早く、最も大きく現れた影響でした。
生産性。 OBRは4%、ブルームの論文は3〜4%です。投資が進まなければ労働者一人当たりが使う設備やシステムも増えないため、生産性もそれに伴って停滞します。ブルームの研究陣はここに二つの要因を付け加えます。経営陣がブレグジット対応に時間を割かれて他の業務ができなかったこと、そしてEUと取引していた生産性の高い企業が最も大きな打撃を受け、経済全体の資源配分が悪化したことです。
本当にブレグジットのせいなのか:反論が突く論点
上記の推定値の大半はドッペルゲンガーモデル4で作られています。2016年以前にイギリスと似た動きをしていた国々を組み合わせて「ブレグジットのなかった架空のイギリス」を作り、実際のイギリスとの差をブレグジット効果として読むわけです。この手法は、2016年以降にイギリスと他国を分けたのはブレグジットだけだと仮定しています。反論はまさにこの仮定を攻撃しています。
元IEAチーフエコノミストのジュリアン・ジェソップは2026年5月に、比較群の構成自体に問題があると指摘しました。比較群のなかで最も加重の大きいアメリカは、シェール由来の安いエネルギーに加えて大規模な財政出動とAIブームまで重なった例外的なケースです。イタリア・スペイン・ギリシャは2010年代初頭のユーロ危機からの回復過程にあり、キャッチアップ成長が混じっていますし、アイルランドのGDPは多国籍企業の会計処理のせいで使える数字ではありません。そこで平均の代わりに個別の国と並べて見ると、イギリスの一人当たりGDPはフランスと同程度で、ドイツよりやや良いくらいです。G7最下位はイギリスではなくカナダでした。ブルーム研究チーム自身も論文のなかで、「イギリスが他国平均並みに成長したはずだ」という仮定が誤っている可能性があり、コロナとエネルギーショックが国ごとに異なる形で表れたと認めています。
実際、2016年以降のイギリスにはブレグジット以外にも多くの出来事がありました。2020年にはGDPが10.3%減少し、2022年10月の物価上昇率は11.1%と41年ぶりの高さを記録しました。OECDは、その年のエネルギー危機の打撃がG7のなかでイギリスに最も大きかったと見ています。同じ年の9月にはリズ・トラス政権の減税案が国債市場を揺るがし、首相はわずか49日で退陣しました。10年間で首相が7人交代したこと自体、政策が絶え間なく変わり続けたことを意味しています。
さらにさかのぼると、より大きな構図が見えてきます。イギリスの生産性上昇率は1974〜2008年には年平均2.3%でしたが、2008年の金融危機以降2020年までは0.5%前後まで落ち込みました。これは国民投票より8年も前の出来事です。投資率は2000年以降、毎年G7のなかで最下位圏にあり、オックスフォード・エコノミクスの試算では、イギリスがG7平均並みに投資していれば、25年間の累積で1兆9,000億ポンド多く積み上がっていたはずだとされています。2010年から続く緊縮財政が公共投資を削った影響も、各種研究で繰り返し確認されています。つまり「投資をしない体質」はブレグジットが作ったものではなく、ブレグジットがその上に乗っかっただけなのです。
ブレグジット支持派のBriefings for Britainは、さらに踏み込みます。2015年以降イギリスの生産性は累積で11%増加しており、これはユーロ圏の2倍にあたるため、「ブレグジットによる生産性被害」には証拠がないと主張しています。このサイトはもともと離脱支持の立場であり、そのまま鵜呑みにはできませんが、「2016年以降、生産性上昇率が2007〜2015年のトレンドを下回って落ち込んだという証拠は弱い」という指摘そのものについては、OBRの4%説を支持する側もまだきれいには反論できていません。
そこで反対陣営はどう反論するのか
ドップルゲンガー批判への回答は、ミクロデータから出てきます。ブルーム研究チームは、マクロ比較とは別にイングランド銀行の企業パネル調査を使っています。2016年以前にEU向け輸出比率、EU輸入依存度、EU出身労働者比率、EU規制への露出度が高かった企業と低かった企業を比較したものです。国民投票前は、EUへの露出度が高い企業ほど成長が速かったのですが、投票後はこの関係が逆転しました。コロナの影響を統制してもなお、投資で12%、雇用で3〜4%、企業内生産性で3〜4%の格差が出ています。この手法は「他国との比較」ではなく「同じ国の中でブレグジットへの露出度が高い企業と低い企業の比較」なので、コロナ・エネルギー・首相交代といった共通ショックが除外されます。
ジェソップはこれにも反論しています。EU露出度の高い企業の不振は、ブレグジットではなく、ドイツなど欧州経済自体の弱さや英国の高いエネルギーコストを捉えただけかもしれない、というのです。ここまで来ると、双方が互いの識別戦略を攻撃し合う状態になっており、読者にできることは、どちらの仮定がより無理が少ないかを判断することだけです。
私が見るに、双方が合意している部分は思ったより広いです。ジェソップも、不確実性と摩擦が労働市場・投資・貿易に初期の打撃を与えたことは認めています。ただ、その打撃は「一時的で、消えつつある」と見ており、ブルーム研究チームは「じわじわと積み重なって10年後にはむしろ大きくなった」と見ています。ブルーム研究チーム自身の表現を借りれば、2016年当時の経済学者たちの平均予測である「長期4%の損失」は、5年時点(4〜6%)では正しく、10年時点(6〜8%)ではむしろ楽観的すぎたことになります。経済学はおおむね正しく、その効果がどれだけ長く続くかについての政治のタイムテーブルが間違っていた、ということです。
ブレグジットが約束したことはどこへ行ったのか
費用とは別に、離脱が与えると約束していたことを見ると、「ブレグジットのせい」という言葉のもう一つの側面が見えてきます。
移民は減りませんでした。国民投票直前の12か月間の純移民数は32万1,000人でしたが、2023年6月までの12か月間は90万6,000人と過去最多を記録し、2024年も72万8,000人でした。EU出身者は急減したものの、新しい就労ビザ制度によってインド・ナイジェリア・パキスタン出身者がその穴を埋め、2024年時点で移民の86%が非EU出身者となっています。2019年には42%でした。
新規貿易協定の効果について、OBR(英国予算責任局)は「見通しに有意な影響なし」に分類しています。オーストラリアとの協定は15年間でGDP0.1%にとどまります。英国がEU加盟国であれば当然EU・日本協定の枠内に入っていたはずなので、日本との協定も純増とは見なしにくいところです。
そのため、今の政権がやっていることは「巻き戻し」です。2025年5月のEU・英国首脳会議では、食品・動植物検疫(SPS)5協定、排出権取引制度の連携、若者移動制度について協議することで合意し、12月にはエラスムス・プラスへの復帰で合意しました。2026年9月末の報道によれば、この3つすべてで大枠がまとまり、11月20日のブリュッセル首脳会議で決着させる予定です。SPS協定は2027年半ばの発効を目指しています。ただし、単一市場・関税同盟への復帰についてはスターマー政権が一線を引いており、バーナム政権がこの線を動かすかどうかはまだ確認されていません。
この巻き戻しがどこまで回復をもたらすかについても見方が分かれます。CER(欧州改革センター)は2024年の時点で、検疫協定とパフォーマー移動緩和を合わせても10年後のGDPで0.1%程度にとどまると見ていました。農食品は輸出が22%増えても経済全体に占める割合が小さいためです。ゴールドマン・サックスは、単一市場や関税同盟に相当する水準の整合であれば費用のかなりの部分を取り戻せると見ていますが、それは現時点でテーブルに乗っていない選択肢です。
Oswarldの視点
私は「ブレグジットのせいなのか」という問いは、実は測定の問題だと見ています。4〜8%という数字は、測定しやすいもの、つまり商品貿易や企業投資のように統計がきれいな項目でまず捕捉されます。測定しにくいもの、つまり10年間で経営陣の会議時間がどこに消えたのか、どの投資が「ひとまず保留」のまま永遠に戻ってこなかったのかは、モデルが残差として処理します。だから双方とも自分が測れるもので相手に反論し、測れない領域は自分の仮定で埋めるわけです。
今週見たMercorの米国労働ベンチマーク地図が、これと重なって見えました。米国の職業923種、タスク18,797件に公開AIベンチマーク29種を対応させたところ、ベンチマークが5つ以上かかる職業はわずか208種で、米国の労働時間の90%はベンチマークがほとんど存在しないタスクに使われているという結果です。ベンチマークは賃金総額が大きい職業、AI露出度が高いタスクに集中しています。弁護士業務は綿密に測定される一方で、法律秘書や裁判所書記官はほとんど測られていない、といった具合です。だから「AIがどれほど上手いか」に対する私たちの答えは、実は「私たちが測ると決めたものにおいてAIがどれほど上手いか」なのです。ブレグジット論争も同じ構造です。よく測られる商品貿易では被害がくっきり見える一方、測られない領域では双方がそれぞれの仮定を語っているに過ぎません。
だからといって「だから誰にも分からない」というところに行きたいわけではありません。投資統計は仮定ではなく実測であり、2016年第1四半期比で11%という数字は、どんな反実仮想を立てても低い数字です。私の判断は、ブレグジットが英国を崩壊させたというより、2008年以降ずっと投資をしてこなかった体質の上に、10年分の不確実性をもう一枚重ねたというものです。その一枚が4%なのか8%なのかはモデルの仮定次第ですが、その体質自体がブレグジットがなくても悪かっただろうということは、数字が示しています。
おわりに
「どれくらい」には答えがあります。1人当たりGDP基準で横ばい、商品輸出15%前後の減少、企業投資は10年間で11%増加。「のせいで」には幅があります。4%から8%の間、そしてそれ以外の部分は、金融危機後の体質、コロナ、エネルギー、政治的不安定が分け合っています。
11月20日の首脳会議の結果が出れば、イギリスがどこまで後戻りすることにしたのか分かります。そのときにあらためて見るべき数字は、GDP推定値ではなく2027年以降の企業投資です。
💬 読者さんは、ある決定の結果を評価するとき、「それのせいで」と「その上に乗っかったもの」をどう見分けていますか。組織でも個人でも、事例があればコメントで聞かせてください。
📨 イギリス・欧州市場を担当している、あるいはマクロ指標で意思決定を行っている同僚がいれば、この記事を転送してください。
参考資料と関連リンク
主要出典
- Nicholas Bloom et al., “Brexit’s slow-burn hit to the UK economy”, VoxEU, 2025.12.5. ……6〜8%推計の原出典です。マクロ比較と企業パネルの両方の手法を説明し、自身の限界点も記しています。一つだけ読むならこれをお勧めします。論文原文はNBER WP 34459です。
- Julian Jessop, “Three reasons why you should never trust a “doppelgänger"", ThinkScotland, 2026.5.7. ……反論側で最も具体的な記事です。比較群構成の問題点と各国別比較チャートがあります。
- John Springford & Anton Spisak, “The cost of Brexit, ten years on”, CER, 2026.6.18. ……財・サービスの輸出入減少率の出典です。同機関の10周年エッセイ集に税収400億ポンドの計算があります。
- Goldman Sachs Research, “UK: The Economic Cost of Brexit, Ten Years On”, 2026.6.24. ……6%推計と、金融部門と米国を除いた下限4%がここにあります。
- Office for Budget Responsibility, “Brexit analysis”, 2026.7.20更新. ……生産性4%、貿易15%、新規貿易協定効果の判断に関する公式出典です。
- ONS, “Business investment in the UK: January to March 2026”, 2026. ……投資率18.9%、G7最下位の原データです。
背景知識
- Oxford Economics, “The UK’s Investment Shortfall”, 2026.9.8. ……2000年以降の累積1兆9,000億ポンドの投資不足の計算です。ブレグジット以前からの体質を見るならここです。
- NIESR, “Why is UK Productivity Low and How Can It Improve?” ……1974〜2008年が2.3%、それ以降が0.5%という生産性トレンド比較の出典です。
- Briefings for Britain, “New UK data further undermines the ‘Brexit economic damage’ narrative”, 2026.9. ……離脱支持側の生産性反論です。立場を踏まえて読む必要があります。
- House of Commons Library, “Debate on the UK applying to join the European Union”, 2026.10. ……2025年5月の首脳会議から2026年11月の首脳会議までの「リセット」交渉の経過がまとめられています。
- Mercor, “A benchmark map of the US economy”, 2026. ……「視点」のセクションで比喩として使った資料です。923の職業、29のベンチマーク、労働時間の90%が未測定という数値がここにあります。
📝 用語解説
각주
-
OBR(Office for Budget Responsibility、予算責任庁):英国政府予算の前提となる経済見通しを独立して作成する機関です。2020年からブレグジット効果として長期生産性4%、貿易15%減少を公式見通しに反映しています。 ↩
-
TCA(Trade and Cooperation Agreement、貿易協力協定):2021年1月に発効した英国・EU間の協定です。物品関税と割当はほとんど撤廃しましたが、単一市場・関税同盟の外にあるため通関と規制認証が再び必要になりました。 ↩
-
非関税障壁(Non-Tariff Barriers):関税ではないものの貿易を難しくするものです。通関書類、原産地証明、製品認証、検疫、規制の違いなどで、関税がゼロでもコストは発生します。 ↩
-
ドッペルゲンガー・モデル(合成対照群、synthetic control):ある出来事の前に対象と似た動きをしていた国々を加重平均し、「その出来事がなかった場合」を作り出して比較する手法です。比較群をどう組むかによって結果が大きく変わるため、その選択が論争の核心になります。 ↩
-
SPS(Sanitary and Phytosanitary、動植物衛生・検疫):食品・動物・植物の貿易に適用される検疫と認証の規則です。英国がEU規則に合わせることにすれば、農食品の国境検査と書類の大半が不要になります。 ↩

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